ベイスターズとスポーツ界を勝手に見守るブログ

野球とベイスターズを中心に、スポーツ好きのサラリーマンがいろいろと意見を言いたいがためのページです

イチロー

2019.3.21 シアトルマリナーズイチロー選手が引退を発表しました。

熱烈なファンというつもりではありませんでしたが、大多数の野球少年が夢見たように僕もイチローがヒットを重ね続ける姿に衝撃と夢を見た世代の一人です。

いつかは来るものとわかっていながら、いざ引退となると言葉に出来ない感情が溢れて止まらなくなりそうなので、書きかけの記事を一旦放置した上でこれまで以上に乱文になるかと思いますがいま思うがままに記させていただきます。



僕が少年時代、イチローに対して抱いた感情のメインは「憧れ」と「嫉妬」と「ひがみ」でした。圧倒的な成績を残すイチローに憧れを抱きつつも、憧れはその時々であったかと思います。
なぜなら、「どれだけ練習しても、イチローと同じだけの練習をしても同じようにはなれるわけない。野球の才能にここまで恵まれるなんてなんかずるい」どこかそんな風に感じていたからです。


ただ、僕が歳を重ねたせいか、イチローが歳を重ねたせいか、当然ながら今込み上げる感情にはまた違うものが混ざっています。

よく「人生は選択の連続である」、なんていう言葉を聞きます。それはその通りだと思います
どこに進学するか、どこに就職するか、誰と結婚するか、どう老後を過ごすのか、今日のランチはどこで食べるか、今日飲んで帰る言い訳をどう妻に伝えるか…いろいろな選択が人生には必要です。

イチローの引退を経て思うことのひとつは、イチローは人生の選択を全て「野球のため」という方向にベクトルを向けて選択してきた、そしてそれは誰にでも出来ることでは無いということです。
何故なら、選択することは何かを捨てることでもあるからです。「野球のため」にそれをすることは正直真似できるものではありません。

小学生であれば友達と遊びたいと思いますし、高校生であれば思春期をエンジョイしたいとも思います。それが普通です。

イチローは違いました。友達にどう思われようとかそういうことを考えるまもなく野球を選びました。違う文化や評価を怖れずメジャーリーグにも臨みました。

そこまですることが正解かどうかはわかりません。本人も引退会見で語ったように、それは孤独でもあり辛いことのほうが多いかもしれません。
自分の子供にそこまでの選択を強制もしませんし、するつもりもありません。


イチロー自身、その結果や偉大な記録についてはささいなことと語っていましたが、それはそう思えるほどに野球を愛し野球に対して真摯に向き合ったからでは無いでしょうか。そして自分自身後悔することのない選択を重ねてきたと言えるからに違いないとそう思うのです。

日々の自分を少しだけ越えていく、戻ることもあるかもしれないが前に向かう意思を持ち続けられるものを見つけた先にしか見えない景色がある。
言うだけでは本当に簡単ですが、そんなことをイチローは長年かけて見せてくれた気がします。その舞台が野球だった、というわけです。


月並みですが、その決断と生き方に敬意を払います。敬意という言葉が最適なのかすらわからない感情ですが、それが今思い浮かぶ最大限の感謝です。


今後もイチローの評価なんて野暮なことはしません。
ただ、最後にイチローが語ったことの中で三点ほどピックして大変恐縮ながら自分の考えを重ねてみたいと思います。


1つめは、「最近の野球は考えることが少なくなっている。日本の野球はアメリカのそれをすべて追従する必要は無い」という部分です。
確かにデータ野球の発達が増える現在のアメリカ野球では、選手自身が考える必要が少しずつ失われているような気はします。データが示す通りのことをこなすことで勝利に繋がるのであればそれも間違いでは無いですが、時間制限の無い考えるスポーツの醍醐味は間違いなく薄れてしまうとも思います。

ただ、僕個人としては近年のデータを活用した見方についてはどちらかというと肯定派です。それはおそらく、僕がそういう視点での楽しみ方をすることでより深く野球を愛することができている人間だからです。僕はもともと運動神経も良くは無く、視力も悪く、現在は大怪我も負ってしまい満足に野球がプレーできる人間ではありません。データ野球はそんな自分でも純粋なプレーヤーとしてではない目線での楽しみを与えてくれました。
プロ野球を見つつ理論との相違を見つけるときや、草野球で監督をやって自分の掲げた野球がハマったときにはなんともいえない感動を覚えたものです。

ただし、日本がすぐに追従する必要なんて無いという点については猛烈に賛成です。結果的にするかどうかは別にして、新しい風潮を取り入れる前に徹底的な議論と検討が必要です。
譲れないもの同士がぶつかったとき、そこには新たなルールが生まれます。
「日本の野球」と呼べるような新しいルールがあっても良いじゃないですか。むしろアメリカが日本のルールを真似するようなことだってあり得ると思います。
具体案については長くなりそうなのでまた後日にしますが、プレーヤーの思考に対して介入するようなルールの導入はとことん慎重にかつ確かな検討を期待します。


2つめはアマチュア球界への興味を示した点について。
プロアマ両者にある程度の壁があることは当然です、ビジネスか否かという決定的な違いがそこには存在します。ただ日本における壁は少し異質であり、あまり適切ではないように感じる点もあります。

最たる例は指導についてです。少年野球を含むアマチュア野球においては適切な知識が充分では無いままに指導が行われていることが多いように感じます。公立の部活動であればまだしょうがないのかもしれませんが、正直言わせていただくと、そうであっても正しい動きやトレーニングを取り入れるほうが発展的だと思うのです。
野球を始める子供は好きだから始めるはずです、それが誤った指導や組織での活動をすることでいつしか辞めてしまうことがあります。もちろんそれだけが原因とは思いませんが、少なくとも適切な指導が広がれば野球好きな人の子供も野球をやる場合に次の世代にもまた適切な指導ができる、そんな良い流れを作れるのでは無いでしょうか。

イチローからの発信を機に新しい流れが生まれるのではないかということをどうしても期待してしまいます。自分も身のまわりのレベルで出来ることを考え、発信&実施していきたいと思います。


3つめは「野球は団体競技でありながら個人競技」という点です。これは同じ意見であったのでなんか嬉しかった、ただそれだけです。



長々と失礼しました、最後に少しだけ。

あなたのプレーをみて、準備を知って、覚悟を学んで、比べるのは失礼なほんの少しだけですが前を向くことの勇気をもらっています。

同じ時代に生きてそれを感じられた、幸運です。

「僕からのギフトなんて無い」と言いましたが、もうこっちは貰っています。

イチローの嫌いな「責任の無い安易な意見」と思われないよう、責任と覚悟をもって生き方と野球に取り組んでいきます。


勝手にして下さい、と思われて終わりですね。
ありがとうございました。